娘よ、君を愛している

妊活のこととか、娘のこととか、時間がある時に気が向いたら書きます。

今日、娘が一歳になった

今日、娘が一歳になった。

 

一年間、本当にあっという間だった。

本当に矢のようだった。いや、光のようだった。

あの出産から365日経ったという実感がまるでない。

つい昨日生まれたばかりだと思っていたのに、一年も経っていた。

 

この一年で、私は大きく変わった。

生活はもちろん、性格もガラッと変わったと思う。

 

まずは仕事。

私は仕事が大好きだった。

仕事は私の全てと言っても過言ではない。

テキパキ仕事をこなし、上司や周りの人から褒められることで、自分の存在価値を見出すことができたから。

仕事を頑張ってる自分が好きだった。

 

私には過去に夢があった。

とても恥ずかしくて口には出せないけど。

結局その夢は叶わず、普通のOLになった。

仕事で誰かに褒めてもらうことで、叶わなかった夢への折り合いをつけた。

同時に、言い訳にもしていたんだと思う。

 

だから、出産しても仕事を辞めるつもりなんてさらさらなかった。

仕事をしてない私は私じゃない。

仕事をしている自分にこそ価値がある。

 

そう思っていた。

けど、私は今専業主婦をしている。

あれだけ執着していた仕事を、辞めた。

 

勿論葛藤はあった。

とてもいい職場で、きっと2度とあんないい環境で働くことはできないだろう。

悩んで悩んで悩み続けた。

 

でも、私は仕事を辞めた。

 

だって、私の人生の主役はもう私ではない。

仕事で褒められなくてもいい、自分の価値が見出せなくてもいい。

私はもう、人生の主役ではない。

これからは私が娘を沢山褒めてやる番だ。

スラムダンクの魚住が、インターハイ出場最後の椅子をかけた対湘北戦で、「俺はチームの主役じゃなくていい」と言った。

今の私はまさにこの心境である。

 

この家族の主役じゃなくていい。

私の物語の主役はもう、娘なのだ。

 

こうして私はあれだけ拘っていた仕事を辞めた。

辞めた理由は他にもあるが、それはここに書くべきではないので割愛する。

 

 

そして、娘を生んで1番の変化は自分の母親への感情だ。

 

私は母が嫌いだった。

半端じゃないくらい嫌いだった。

嫌悪していた。

こんなこと自分を生んでくれた母親に対して本当に失礼極まりないが、早くいなくなってくれとすら思っていた。

それ程までに私は母に対し憎しみを抱いていた。

 

それが、嘘のように消え去った。

 

母が私に対しした事言った事は、恐らく死ぬまで忘れないだろう。

でも、憎しみの感情は本当にスッとどこかへ消えて無くなってしまった。

 

連絡を取ることすらしなかったのに、今では娘を連れて毎週母のいる実家に帰っている。

メールも電話もする。

長生きしてほしいと心から思っている。

 

私は、娘が愛しくて仕方がない。

この子がいれば、大好きな仕事も、そこで築いた地位も信頼も、まだどこかで諦めきれていない夢も、全て捨てる事ができる。

 

娘が生まれる前の25年間、それなりに楽しく幸せに過ごしてきたと思う。

だけど、娘が今隣に居てくれる喜びは、その比ではない。

世の中にこんなに幸せなことがあったのかと思う。

愛しくてたまらない。

私の全てだ。

 

私の母も、きっと同じように思い、私を育ててくれたのだろう。

そう思ったら、母に対する憎しみは不思議なほど綺麗さっぱり無くなった。

 

 

 

出産から一年。

 

初めての子育ては勿論大変だった。

でも幸せの方がうんと多かった。

どんどん大きくなる娘。

仰向けに寝転がることしか出来なかったのに、今では二本の脚で立ち上がることができる。

おっぱいしか吸えなかった口は、歯が生えご飯が食べられるようになった。

私を「まま」と呼び、手を叩き、声を出して笑う。

たった一年の間に、こんなにも大きくなった。

 

きっと、すぐ二歳になる。三歳になる。

気が付いたらもうこのうちを出て行く年齢になるだろう。

年頃になったら反抗期を迎えるだろう。私がそうだったように。

 

あっという間の一年だった。

でも、今まで生きてきた中で最高の一年だった。

私は娘に会うために、娘を生み育てるために生まれてきたんだと、本気でそう思う。

 

私をあなたの母にしてくれてありがとう。

私とパパのもとに生まれてきてくれてありがとう。

あなたをこの世界の誰よりも、愛しています。

 

 

今日、娘が一歳になった。

 

 

妊娠が発覚した時の話

7回目の人工授精を終え、私の心はとても軽くなっていた。
今回もダメだろうけど、しばらくあの痛みとはおさらばだし、クリニックに通うこともない。
父のお見舞いにもっと行けるし、そのことだけ考えていればいい。
人工授精後、いつものように先生からもらった紙には「9月22日までに生理が来なければ妊娠」と書かれていて、いつもならその日が来るまでドキドキしながら過ごしたのだけど、今回は全くドキドキすることもなく、なんならその日付を忘れるくらい、気にも留めず毎日を過ごしていた。
生理が来たらどうしよう…。とビクビクしながら過ごさずにいられる日々はこんなにもノンストレスだったのか、と、不妊治療から解放された当時の私は思っていた。

そして気が付けば9月21日。
あれ、生理まだ来てないな。と、ここで漸く気が付いた。
そういえば明日まで生理が来なかったら妊娠なんだっけ、まー今夜までには来るな~多分。そう思っていた。
だって下腹部がなんだかじんじん痛むし。これは「生理もうすぐ来るで」の合図だから!遅くとも今夜生理が来るはず。
妊娠している可能性があるかも、なんて微塵も頭になかった。
何にも期待してなかったし、今までだったらここでドキドキが最高潮に達していただろうけど、その時の私は驚くほど冷静だった。
ので、その日は中学の同級生とのプチ同窓会繰り出した。
不妊治療を始めてからお酒も飲まなくなったし、久しぶりに友達と会えたこともあり、その日はめっちゃめちゃ飲みまくった。

 

そして、翌日。

9月22日。

この日は入院中の父が一時帰宅を許可された日だったので、母と私と旦那で午前中病院に父を迎えに行くことになっていた。
ちなみに、容態が良くなったから帰宅を許されたわけではない。
むしろその逆で、もういつまでもつかわからないから、今のうちに家族水入らずの時間を過ごした方がいいのではという先生の計らいだった。
家に帰れるのは一日だけで、翌日には父はまた病院に戻る。
父は、もう何カ月も食べ物を口にしていない。
食べたい気持ちはあるのだが、食べてもすぐにもどしてしまう。
栄養は点滴からしかとっていない。
父の体重は、痩せていると周りから言われる私の体重を下回っていた。
もう、自力で歩くこともできない身体になってしまっていたのである。

そんな父を迎えに病院に行かなければいけないので、その日は早起きだった。
あれ、そういえば昨日、結局生理来なかったな。
パンツ下したら血が着いてたらどうしよ。嫌だな~。
なんて思いながらトイレに行った。

が、下着に血が着いていることはなかった。
あれ…?と思いながら、先生に渡された紙をもう一度確認。

「9月22日までに生理が来なければ妊娠」

「9月22日」

 

9月22日!!!!??

今日じゃん!!!!?????

 

朝から一気に心拍数が跳ねあがった。

いや、でも、待て待て。
あと一時間したら来るかもしれない。
だって、妊娠したなんて簡単に信じられない。
でもとりあえず、と、寝ている旦那の耳元で「妊娠したかもしれん」と囁いておいた。
旦那はその一言で起きたのか、はたまた寝たままだったのかわからないが
「…ん!?」と一言。
とりあえず、妊娠の有無は検査薬でちゃんと確認するとして、父を迎えに行くべく病院へ向かった。

父を車いすに乗せ、私がそれを押す。
こんな日が来るなんて想像していなかった。
やせ細った背中はとても頼りなく、小さく見えた。
父の希望で、家に帰る前に床屋に寄ることになった。
デパートの中に入っている床屋だったので、母は食品の買い足しに、私はドラッグストアへ一目散。
すぐさま妊娠検査薬を購入し、実家に帰るまで待とうと思ったけど、我慢の限界だったのでそのままトイレに駆け込んで検査薬を使用した。
今までも、何度か検査薬を購入したことはあった。
不妊治療を始める前、たった一日生理が遅れただけで「もしかしたら妊娠したかも!」なんてドキドキしながら。
結果は勿論陰性だったけど。

でも、今回は違ってた。
判定枠にピンクの線が浮かび上がる。

 

結果は、陽性。
妊娠している。

 

それでもまだ信じられなくて、同封されてた説明書を何度も何度も読んだ。
どう見ても、結果は陽性。

私のお腹に、ついに赤ちゃんがやってきてくれたのである。
すぐさま旦那に報告した。
病院に行かないとね、と二人で話していると、父が散髪を終え床屋から出てきた。

実家へ向かう車内で、私は考えていた。
いつ両親に妊娠のことを言おうか。

本当なら、ちゃんと病院に行ってエコーで赤ちゃんを確認できてからの方がいい。
検査薬の結果が100%正しいとは言い切れないし。
でも、もたもたして、父に言えなかったらどうしよう。
そのことだけが気がかりだった。

そして車は実家に着いた。
父を車いすに乗せ、私が押す。
私と父、そして母でエレベーターに乗って実家のある階まで上っていく。
その時、勝手に、本当に自分の意志とは関係なく勝手に口が動いた。

「あのね、赤ちゃんができたみたい。」

何故ここで!?と自分でもびっくりした。
こんな狭いエレベーターの中で…。
でも勝手にぽろっと口から出てしまったのである。
それを聞いた母は「えぇ!?」とびっくりした顔をしていた。
そして、父は「やったー!!」と、両腕を高くあげたのだ。

 

あの時の父の嬉しそうな笑顔は、今でも忘れない。
「パパ、ずっとお祈りしてたんだ。○○に赤ちゃんが授かりますようにって。」
と、父は言った。

思い出すと今でも泣いてしまう。
私から不妊治療のことを聞いて以来、父は病院のベッドで、毎晩祈ってくれてたんだそうだ。
自分の病気を治してください、ではなく、私のことを。

 

後日、不妊治療で通っていたクリニックに旦那と一緒に向かった。
診察室に入るなり先生は「また来たってことはもしかして…?」と笑顔で言った。
エコーで子宮の中を見てみると、そこには小さな小さな卵のような粒が見えた。
私たちの赤ちゃんである。
「おめでとう。妊娠してます。」

この時を、どれだけ待ち望んでいただろうか。
何度も何度も夢に見た、ついに赤ちゃんが私のお腹にやってきてくれたのである。

父が末期がんになって、夫婦ですったもんだあった時の話

昨年のGWに入る少し前だったと思う。
ある日母親から「パパが腸閉塞で入院した」とメールがきた。

父は当時63歳。
確かにいい年だったけど、まだバリバリ仕事もしていたし、毎年受ける健康診断も一度も引っかかることは無かったらしい。
そんな父が突然入院。
母の話によると入院は一週間程度で、特に命にかかわるものではないらしい。
とりあえず、私は旦那と一緒にすぐ父のお見舞いに行った。

病院のベッドには元気そうな父の姿。
傍らに腰かけた母と談笑していた。

なんだ~元気そうじゃん!

一週間後父は無事退院し、ほっと胸を撫で下ろした。

 

のもつかの間。

GW明け、母からまた連絡があった。
今度はメールではなく、電話。
嫌な予感がした。

 
退院して、今まで通りの日常に戻った父だったが、また入院することになったのだという。
そして検査の結果、癌であることが発覚した。

嫌な予感は的中した。

 

まさか、そんな。

検査結果は、父本人と母と私で聞いた。
主治医の先生が父の腹部の画像を指さして色々説明していたが、私は頭が真っ白だった。
恐らく母も。
告知を受けている父が、一番冷静に先生の話を聞いていた。

病名は大腸癌。
しかも癌は肝臓に転移していた。

父は先生に尋ねた。

「先生、私の癌はステージ何ですか?」

私の記憶が曖昧なだけかもしれないが、先生は父からの質問にちゃんと答えることはなかったと思う。
代わりに先生はこう言った。

「このままこの病院で治療を続けますか?それとも癌治療を専門としている病院に転院しますか?」

それは、つまり、この病院では治せないという意味なんだろうと、私は解釈した。

 

私は、自分の両親に不妊治療のことを話していた。

話したとき二人がどんな反応だったか、正直覚えてない。

もしかしたらうちは子供が一生できないかもね~と、少し自棄になって話したから、言葉に出していなくても、二人はきっと悲しんだと思う。

父が癌だとわかり、更に転院した先の病院では「最善を尽くすが、いつまで生きられるかわからない」と宣告されてしまった。

 

私の焦りはピークに達した。

もしかしたらこの先良くなって長生きしてくれるかもしれない。
その希望は捨ててない。
だけどもしかしたらここ数年の間に父はいなくなってしまうかもしれない。
どうしよう。
私まだ、子供をうめてない。
父に私の子供を抱っこしてほしい!!

私は昔から父が大好きで、心から父を尊敬していた。
だからこそ、絶対父に自分の子供を抱いてほしかった。

でも、それは叶わないかもしれない。

人工授精は相変わらず上手くいかず、ビタミン剤で状態の改善を試みていた旦那のオタマジャクシも何ら変化はない。

不妊治療の為に病院に通い、仕事帰りに父のお見舞いへ。(しかも父の転院した先の病院はとても遠かった。)

精神的にも肉体的にも厳しい毎日が続いた。

 

5回目の人工授精が失敗に終わったとき、先生に体外受精について話を聞いた。
大体の相場は一回100万。
成功する確率良くて40%程度。
私の旦那のオタマジャクシの状態からすると、顕微授精というものになるかもしれないらしい。
「このクリニックでは行っていないけど、もしやるならいい病院を紹介するよ。」

ご主人とよく相談して、早い妊娠を望むなら試してみる価値はあると思う。

そう言われ、私は旦那に詰め寄った。

 

私は今すぐ子供が欲しい。
一年後、二年後じゃ遅い。
今妊娠できれば父に会わせてあげられるかもしれない。
人工授精じゃもう埒が明かない。
体外受精をしよう。
どれだけお金がかかっても、今より確率が上がるなら、私はそれに賭けたい。

 

旦那の答えは、NOだった。

体外受精だって妊娠する確率は100%じゃない。
きっと何度もやることになる。
お金には限りがある。
貯金を全部使い果たした時、俺が病気になったら?働けなくなったら?
体外受精をするならそれなりの準備と心構えをしなきゃならない。
今すぐには無理だ。

 

旦那の言い分は正しかった。

だけど、私は

「そうだね、やってみよう。」

って言ってほしかった。

 

子供が欲しくないのかと、泣きながら彼に問いかけた。
欲しいよ、と彼は答えた。

「でも俺は、今すぐ子供が欲しいっていう○○(私の名前)の希望は叶えてあげることができない。
もし、どうしても今すぐ子供が欲しいっていうんなら…例えば俺と別れて他の人と一緒になれば、それは叶うかもしれない…。」

 

旦那はどんな気持ちでその言葉を口にしたんだろう。

私はいつも自分のことでいっぱいいっぱいで、彼の事を知らず知らずのうちに追い詰めていたんだろうなとこの時自覚した。

子供がほしい気持ちは、旦那も同じなのだ。
私だけがつらいのではない。

 

そして6回目の人工授精が失敗した。

私はある決断をした。

「先生、父の病気の事もあるのでこの次で一旦お休みします。」

 

7回目の人工授精。
これを最後に、一度「子供」から離れよう。

断じて子供を諦めるわけではない。
けど、私たち夫婦はこのままこれを続けていたら良くない気がする。

そう思い私は先生にその旨を伝えた。
先生もそうだねと頷き、お父さんの事が落ち着いたらまた頑張ろうと言ってくれた。

 

そして7回目の人工授精。
最後と決めたその一回でまさかの奇跡が起こったあのである。

 

 

長くなったのでまた次回。

生理が来ちゃったときの話

人工授精後、先生から紙を渡された。

そこには「○月○日までに生理が来なければ妊娠。妊娠の場合は×月×日以降に受診。生理が来てしまった場合は生理開始後○日後に受診。」と書かれていた。
「○月○日までに生理が来なければ妊娠」。
この日まで、女性はドキドキしながら過ごすのである。

 

一度目の人工授精で上手くいくわけないとわかっていつつも、妊娠を祈らずにはいられなかった。
頼むから、生理よ、来ないでくれ~~!!

しかし、そんな願いも虚しく、いつも通り下腹部が痛み出し「そろそろ生理来るで」と知らせてくる。
いやでももしかしたらこれはOPP(お腹ピーピー)の痛みかもしれない…なんて、その日が来るまで自分を誤魔化し続けた。

それからというもの、トイレに行くのが恐怖だった。
下着を下したときに血がついていたら。
生理が来てしまったら。
人工授精でも妊娠する確率は低いってわかっているはずなのに、それでも怖くて堪らなかった。

 

そしてその日はやって来る。
何かがどろっと下着に着いた感触がして、急いでトイレに駆け込んだ。
見てみると、生理の訪れを告げる茶色の分泌液が下着に付着していた。
いやっ違う!これは生理じゃない!ちょっとおりものが茶色いだけ!!
と自分に言い聞かせても、その数時間後には真っ赤な鮮血がべったりとナプキンに着いているのだ。
その時の絶望感ったらない。


一度目はまだマシだった。
「そうだよね、そんなすぐ上手くいくわけないよね~」と思うことができたから。
でも、二回、三回と人工授精の回数を重ねるにつれ、絶望感はどんどん増す。
冗談抜きで、毎回生理が来るたび発狂しそうだった。
自分のお腹を殴ったこともあった。(絶対やってはいけません)
なんていうか、もう行き場がなかった。

誰が悪いわけじゃない。そんなのわかってる。重々承知している。
だけど、なんで私こんな思いしなきゃならないの?
毎回毎回痛い思いして人工授精に臨んで、病院にだって何度も通って。
だけど上手くいかなくて。その度泣いて。
段々自分の心が荒んでいくのがわかった。
怒りにも似た悲しみの感情の矛先は、嫌でも旦那に向いて行った。
旦那が悪いわけではない。
でも、だけど、そうだとしても、割に合わない。
もし旦那のオタマジャクシが正常だったら、こんな苦しい思いをせずに妊娠できただろう。
どうして何の問題もない私がこんなに苦しまなくちゃならないんだ!

もちろん、そんな事本人に言えるはずもないので心の中にしまっておいたけど。きっと旦那も責任を感じてるに違いないし、彼だってツライはず。
それでも、生理が来てしまった日はめちゃくちゃ不機嫌になってしまう。
今回もダメだったよ、と旦那に言うけど、彼はそれに対して「そっか」としか言わなかった。
それがまたムカついて、私の機嫌は悪くなるばかり。
今思えば、確かに「そっか」以外かける言葉はないよなぁと理解できる。
「ごめん」と謝るのもなんか違うし。

それでもあの頃の私は、もしかしたら旦那からの「ごめん」を待っていたのかもしれない。
妊娠できない現状を誰かのせいにしたかったから。じゃないととても平常心で居られなかったから。

 

そしてそんな私に、更なる絶望が降りかかってきた。
父が、末期癌であることが発覚したのである。

 


そろそろ夕飯の支度するので今回はここまで。

人工授精の話

不妊の原因が旦那のオタマジャクシであることが発覚し、我々夫婦は不妊治療をスタートさせることになった。

症状にもよるだろうけど、不妊の原因が例え男性側にあったとしても、頑張るのは女性の方である。
少なくともうちはそうだった。

「旦那さんはタバコ吸うんだっけ?」
クリニックに行く度、先生からそう聞かれた。
その度全く吸いませんって答えていたけど。

うちの旦那はタバコも吸わなければお酒もたいして飲まない。
まぁ毎日ビールは飲んでるけど。それでも500ml缶一本くらい。
体系はどちらかというと痩せ形で、最近は全然だけど、昔は夜ジョギングしたりして結構健康に対する意識は高めだと思う。
ヘビースモーカーだったり、太っていたりすると、オタマジャクシの質は下がるらしい。
それが原因の場合、禁煙したりダイエットすることでオタマジャクシの状態は回復することもあるそうなのだが、うちの旦那の場合、それには当てはまらない。
旦那のオタマジャクシの状態は生活習慣が原因ではないので、彼の努力ではどうにもならない。
一応男性不妊に特化した病院を旦那に受診してもらったのだけど、ビタミン剤を大量に処方されて少し様子を見てみましょうって感じで終わったらしい。

まぁ…仕方ないよなぁ。
先生からはっきり病名を伝えられたわけではないけど、旦那は「精子無力症」というやつなんだろう。
調べたところ、この病気?の原因は大半が先天的なものなんだそうだ。
誰のせいでもないのである。

 

そんなわけでいよいよ人工授精による不妊治療が始まった。
まず最初に私がしたことは会社の上司に不妊治療を開始することになりました、と報告することだった。

人工授精をする場合、排卵に合わせてオタマジャクシを注入しなければならないので、排卵日を予測するために定期的に、且つ先生の指定した日に何が何でも病院に行かなければならない。
クリニックの診察時間を考えると、早退、時には遅刻しなければならなかった。
それに、先生の話によると人工授精も望み薄らしいので、これはかなり長期戦になるだろうなと覚悟していた。
となるとやっぱり職場の理解を得られないと厳しい。
下手に言い訳をしたとして、こんなに遅刻早退ばっかしてなんなの?と信頼を失うのは絶対に嫌だった。

ので、正直に包み隠さず不妊治療の事を話した。
迷惑かけてすいませんという私に、上司は「身体がしんどかったら休んだっていいんだからね!頑張ってね!」と言ってくれた。
とても有難かった。この人が上司で良かったと改めて思った。

 

人工授精の方法は検索すればだーーっと山のように出てくるので、こうこうこうします、とはここでは書かないけど、こんなにも通院が必要なんだな…っていうのがまず最初の感想だった。
多い時で週4日くらい通院した時もある。
卵子の状態調べて~誘発剤打って~なんかホルモン的な注射も打って~薬飲んで~
その間、男性側は特に何もしない。
まぁ、うん。それはね。そうだよね…。


そしていよいよ人工授精当日。
オタマジャクシ検査の時と同様一番搾りをクリニックへ持っていき、オタマジャクシの洗浄?を行ってから、細いチューブでオタマジャクシを子宮内に注入するのである。
もう、この注入が、ほんっと痛くて。
毎回、ひょえーーーーーーーー!!!!!!って心の中で叫んでた。
しんどい。これ、この先何回やればいいんだ…。ってげんなりしたけど、本当にしんどいのはそのあとだった。

妊娠判定の瞬間である。

 

 

夕飯の支度するので今回はここまで。

結婚から、不妊治療を開始するまでの話

娘がうまれて早4ヶ月。
育児にも大分慣れ、少し余裕が出来てきたので、これまでのことを備忘録的な感じで書き留めておこうと思う。

私は現在26歳。旦那は38歳。
ちょうど一回り違う、干支が一緒の年の差夫婦。
自分でも驚くほどのスピード婚を経て、今に至る。
ちなみにできちゃったわけではない。

2011年11月、当時21歳だった私が入社したIT企業に旦那がいた。
部署も違い特に仕事で絡むこともなく、年齢も離れた私たちが何故結婚に至ったのかは今は置いといて、結婚から妊娠までの経緯を綴っていこうと思う。

私たちが結婚したのは2012年6月。
私の22歳の誕生日に入籍した。(ちなみに私はその日39度の高熱が出て、入籍当日に死ぬのかと思った。)
お互い子供が好きだったのでもちろん子供は欲しかったけど、結婚式も控えていた為、式が終わるまでとりあえず子作りは控えておこうという事に。
それに私もまだ22で若かったし、周りに子供のいる同級生なんて全然いなかったから、まぁ自然な流れで子供ができたらいいなって思っていた。
焦りなんて全くなく、夫婦二人の時間を楽しく幸せに過ごしていた。
結婚式も無事終わり、子作りを控える必要が無くなってからは避妊することなく、ごくごく普通に営んでいたのだけど、子供ができる気配はなかった。
その時私は特に基礎体温を測ったりだとか、本気で子作りに励んでいたわけではなかったので当然といえば当然かもしれない。
でも「やることやっていればいつか子供は必ずできる」「数打ちゃ当たる」なんて思っていたもんだから、あれー中々できないもんだな~なんて思ってはいた。
段々周囲からも「子供はつくらないの?」なんて言われるようになったりしてきた。
まぁ私もその時はバリバリ仕事をしていたし、大好きなびっべんのライブに行きまくったりして、とっても自由気ままな人妻生活を謳歌していたので「もう少し先ですかね~(いつできてもいいけど)」と適当に返していた。

そして入籍して丸二年経過した頃、さすがにヤバイと思い始めた。
なんでできないんだ…?
22で結婚して、24になった。24、まだ若い。ぴちぴちの20代なのに。20代は妊娠しやすいって誰かが言ってた気がするのに。全然、赤ちゃんができない…。
Why…?
そんでもって確かこの頃から私の周囲でベビーラッシュが始まる。
出来ちゃった結婚する友達も少なくなかった。
嫌でも焦る。
お金はある。家も買った。(新中古のマンションだけど)
いつ家族が増えても問題ない環境は整っている。
超が付くほど安定した生活を送っているのに、何故我が家に天使は舞い込まない…?
赤ちゃんは空の上からお母さんたちを見ていて、今だ!というタイミングでお母さんのお腹にやって来るらしい。姉からそう聞いた。
ということは、まだそのタイミングではないということなのか…。
私に母親としての何たるかが見いだせていない為に、赤ちゃんは私の元へやって来るのを躊躇っているのだろうか…。
そんな風に思った。

そろそろ真剣に子作りに取り組もうと思うようになった。
毎日基礎体温をつけ、ルナルナのアプリで妊娠の確率が高い日を調べてその日にトライ。
幸い私は昔から生理周期が乱れることは一切なかったので、ルナルナのお告げ通り生理が来た。
だから多分、ルナルナが「この日合体せよ」と命じた日は本当に妊娠確率が高い日だったと思う。
これで妊娠できるはず!今までは多分タイミングがずれていたんだろう。

が、出来ない。
何故…。やはりルナルナ先生(無料版)では限界があったのか…。
いや、そもそもタイミングじゃなくて我々のどちらかに原因があるのでは?
そう思った私は不妊検査を行っている婦人科を探し始めた。
確か2014年の終わり頃だったと思う。その時私はまだ24歳。旦那36歳。
そろそろ旦那の年齢を考慮しなければならなくなってきた。はよ子供つくらな。

ネットで評判のいい婦人科を見つけ早速診察予約をとり不妊検査をしてもらうことになった。
先生はフランクな感じのおじさん先生で、とても話しやすい人だった。
先生「まだ24なの?旦那さんはいくつ?」
私「36です。」
先生「一回りも違うの?!どうしたの、騙されたの?」
私「(笑)」
聞けばこのクリニックに20代で不妊検査に来る女性はなかなかいないのだという。
何はともあれ、私の身体を検査してみない事には始まらない。
血液検査から子宮内の状態まで、隅から隅まで検査をしてもらった。
このクリニックでは卵管造影検査は行ってなかったので、他の病院を紹介してもらった。
結果、私の身体に異常は見つからなかった。
問題なく妊娠できる身体。何なら卵子?卵胞?の状態なんて見本にできるくらい良かったらしい。
「旦那さんの方も調べてみようか」
先生にそう言われ、紙袋を渡された。
中にはプラスチックの筒状のケースが。
聞けば、そのケースに一番搾りを採ってくるようにとのこと。
また、卵管造影後は卵管の詰まりがとれて妊娠確率がぐっと上がるらしい。
先生にタイミング指導をしてもらうと同時に旦那のオタマジャクシ検査もしてもらうことにした。

自分の身体に異常は無かったわけだし、妊娠確率上がったわけだし、タイミング指導だけで難なく妊娠できちゃうのでは??
タイミング指導や人工授精を行うと先生から「○月○日までに生理が来なかったら妊娠成立」って言われるのだけど、残念ながら、その指定された日までに生理が来てしまった。
ルナルナ先生のお告げ通りの日である。

そしていよいよ旦那のオタマジャクシ検査の日がやってきた。
オタマジャクシ検査はとっても簡単。
採取した一番絞りを冷やさないように病院にもっていけばいいだけ。
冬はタオルで容器をくるんだり、乳の間に挟んで持っていく人もいるらしい。
でも人肌以上の温度で温めてはダメなので要注意。
検査結果は一時間ほどで出るらしい。
朝食を食べずに家を出てきた私たちは近くにあるモスで朝食を摂り時間を潰した。

一時間後、クリニックに戻り検査結果を夫婦二人で聞いた。
診察室でパソコンの前に座っていた先生の顔がどことなく険しい。
私はどきっとした。
「あんまり良くないね。」
それが先生の口から出た最初の言葉だった。

検査結果をもとに先生が旦那のオタマジャクシの状態を細かく解説してくれた。
量だとか、濃度とか、生存率とか。
何があんまり良くないのかというと、旦那の場合オタマジャクシの運動率があまりにも低い、という結果だった。
オタマジャクシには二種類あって、ちゃんと卵子までたどり着ける、正常に動くオタマジャクシと、そうでないオタマジャクシが同じ液体内に存在しているらしい。
運動率は、卵子までたどり着ける正常なオタマジャクシの割合を表している。
運動率が32%を下回ると妊娠は難しいと言われているそうだが、旦那のオタマジャクシはその数値を下回っていた。

これだといくらタイミング指導をしても妊娠は望めない。
人工授精も厳しいと思う。
というのが先生の見解だった。

それを聞いている間、私の頭は真っ白だった。
全くもって想定していなかったことだった。
何か原因があるなら自分の方だろうと当たり前のように思っていたし、旦那に問題があるなんて考えたこともなかった。
旦那はいつもと変わらない顔で先生の話を聞いていたけど、彼も私と同じことを思っていたと思う。
自分に原因があるとは夢にも思っていなかっただろう。

え、ていうか、自然に妊娠できなくて人工授精も難しいんだったらどうやって妊娠すればいいの?バカ高いで有名な体外受精か??
聞けば体外受精でも100%妊娠できるとは決して断言できないらしい。
何度何度もトライしてやっと、という夫婦も少なくないそうだ。
いや、待ってくれ…さすがに何百万も出せないぞ…どうすんだ…。
(調べたところ市の助成があるそうだが、私たちの住む地域では所得制限が設けられていて我々夫婦は見事助成を受けられないことが判明した。)
先生と話し合い、とりあえず当面の間は人工授精にチャレンジすることになった。

私24歳。旦那36歳。
2015年が始まってすぐの、まだまだ寒い冬の出来事である。

まだまだ書くことはたくさんあるけど、そろそろ娘が起きてきそうなので今回はここまで。